TOPPANホールディングス株式会社(本社:東京都文京区、代表取締役社長:麿 秀晴、以下 TOPPANホールディングス)が運営する、印刷博物館では、11月18日(土)より「明治のメディア王 小川一眞と写真製版」展を開催します。
 小川一眞は写真が社会に広まっていった明治期に活躍した写真師の一人です。旧千円紙幣に使われた夏目漱石の肖像など、多くの方が一度は目にしたような写真を撮影しました。小川の活動においてほかの写真師と異なる点は、写真製版によってたくさんの印刷物を製作・出版したことです。新聞、雑誌、書籍などがメディアの中心であった明治時代において、とりわけ写真が入った印刷物は大きな役割を果たしました。
 本展覧会では、小川が導入した2つの写真製版技術である、コロタイプ印刷と網目版印刷で製作した印刷物を中心に、約100点の資料を紹介します。写真製版が印刷をどのように変えたのか、近代日本における視覚メディアの発展と視覚文化の形成に、いかに小川が大きな影響を与えたのか、探っていきます。

© TOPPAN INC.
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開催概要

会期:2023年 11月18日(土)-2024年2月12日(月・祝)
会場:印刷博物館
   〒112-8531東京都文京区水道 1 丁目 3 番 3 号 TOPPAN小石川本社ビル
開館時間:10:00-18:00
休館日:毎週月曜日 (1月8日、2月12日は開館)、
    12月29日(金)~1月3日(水)、1月9日(火)
入場料:一般 500 円、学生 300 円、高校生 200 円
   ※中学生以下、70 歳以上の方、障がい者手帳などお持ちの方とその付き添いの方は無料
   ※20 名以上の団体は各 50 円引き
ウェブページ:https://www.printing-museum.org/collection/exhibition/t20230801.php
主催:TOPPANホールディングス株式会社 印刷博物館
特別協力:東京都江戸東京博物館
* 印刷博物館はTOPPANホールディングス株式会社が創立100周年を記念し、2000年に設立した公共文化施設です。

展示内容

・第1部 新しい技術の渡来 —写真と石版—

暗箱(明治初期、行田市郷土博物館蔵)
暗箱(明治初期、行田市郷土博物館蔵)
 幕末期、写真術や石版印刷術など西洋の新しい複製技術が日本に渡来しました。写実性に優れた写真術と石版印刷術は、木版印刷による印刷物に長年慣れ親しんできた日本人に、大変な驚きをもって迎え入れられ、広まっていきました。
 ちょうどその頃、武蔵野国忍城下(埼玉県行田市)で、原田朝之助(後の小川一眞〔おがわかずまさ〕、1860~1829年)が誕生します。10代で上京した際、写真術を知り、興味をもった小川一眞は、コロディオン湿板法を身に付け、富岡町(群馬県富岡市)で写真業を始めました。コロディオン湿板法が全国に広まり、印刷も新旧の様々な技法が林立した明治時代前期において、写真は写真、印刷は印刷で完結しており、それらはまだ結びついてはいませんでした。

・第2部 写真製版の幕開け —コロタイプ印刷—

 小川一眞はアメリカに渡り、最新の写真術と印刷術を学び、帰国します。そして、1889年10月に創刊された日本で最初の美術雑誌『國華』の写真図版をコロタイプ印刷で手掛け、これが日本における写真製版印刷の本格導入となりました。その後も各方面からの依頼を受けて、多くの写真集をコロタイプで印刷、出版しました。
 小川によるコロタイプ印刷の出版物は、海外の人々の目にも触れます。1900年のパリ万博に出品された『Histoire de l’art du Japon』、『真美大観』は金賞を受賞しました。同じく出品された『東京帝国大学』は、日本の大学教育のレベルの高さを誇示しました。日本が長い歴史と独自の伝統文化を持つ国であり、なおかつ近代化を為し得たことを海外に示すには、万博は格好の舞台であり、小川によるコロタイプ印刷の写真集はそれに貢献しました。

『國華』1号より「無著像」 (1889年、コロタイプ印刷、印刷博物館蔵)
『國華』1号より「無著像」
(1889年、コロタイプ印刷、印刷博物館蔵)
『Histoire de l‘art du Japon』 (1900年、コロタイプ印刷、印刷博物館蔵)
『Histoire de l‘art du Japon』
(1900年、コロタイプ印刷、印刷博物館蔵)
『大日本植物志』第一巻第二集より「さくゆり」 (1902年、コロタイプ印刷、印刷博物館蔵)
『大日本植物志』第一巻第二集より「さくゆり」
(1902年、コロタイプ印刷、印刷博物館蔵)

・第3部 写真製版の進展 —網目版印刷—

 コロタイプ印刷業を営んでいた小川一眞は、シカゴ万博(1893年5~10月)にあわせて開かれた万国写真公会の委員として渡米します。現地で日本のパビリオン「鳳凰殿」の解説書がないことを知り、シカゴで網目版印刷の『ILLUSTRATED DESCRIPTION OF THE HO-O-DEN (PHOENIX HALL)』を出版し、帰国後の1894年から本格的に銅網目版印刷業を始めました。それは同年に勃発した日清戦争の報道などで大きな威力を発揮しました。
 1904年に始まった日露戦争でも、戦況を伝え、戦果を喧伝する、数多くの視覚情報を伴った印刷物が出版されました。それらは、国内向けだけではなく、世界に日本の力を誇示するために和英併記されたものもありました。

『ILLUSTRATED DESCRIPTION OF THE HO-O-DEN (PHOENIX HALL)』 (1893年、網目版印刷、東京都江戸東京博物館蔵)
『ILLUSTRATED DESCRIPTION OF THE HO-O-DEN (PHOENIX HALL)』
(1893年、網目版印刷、東京都江戸東京博物館蔵)
海軍省認可『日露戦役海軍写真帖 全』 (1905年、網目版印刷、東京都江戸東京博物館蔵)
海軍省認可『日露戦役海軍写真帖 全』
(1905年、網目版印刷、東京都江戸東京博物館蔵)
H.G.ポンティング撮影『富士山』 (1906年、網目版印刷、行田市郷土博物館蔵)
H.G.ポンティング撮影『富士山』
(1906年、網目版印刷、行田市郷土博物館蔵)

・第4部 献納された印刷物

 小川一眞は、1909年に竣工した東宮御所(現在の迎賓館赤坂離宮)を撮影しました。「東宮御所御写真」は、その写真をコロタイプで印刷したものです。
 コロタイプ印刷、網目版印刷業で成功をおさめた小川は、1910年、帝室技芸員を拝命します。それまで写真師で拝命した者はなく、初の快挙でした。1912年7月30日に明治天皇が崩御すると、帝室技芸員はその霊前に供えるために作品を制作して献納することになります。それらは東京帝室博物館の表慶館で1913年4月3日から4月30日まで開催された、「帝室技芸員献品並に故帝室技芸員製作品」特別展覧会に出品されました。小川は、『清国北京皇城写真帖』、「雪舟筆破墨山水図 美術写真版」など7作品を出品しました。写真師として帝室技芸員を拝命した小川でしたが、自身の誇るべき業績として献納したのは、コロタイプ印刷物でした。

「東宮御所御写真」より「朝日之間西北隅」 (1909年、コロタイプ印刷、 東京大学総合研究博物館〔インターメディアテク〕蔵)
「東宮御所御写真」より「朝日之間西北隅」
(1909年、コロタイプ印刷、
東京大学総合研究博物館〔インターメディアテク〕蔵)
『清国北京皇城写真帖』 (1906年発行、1912年献納、コロタイプ印刷、 東京国立博物館蔵)
『清国北京皇城写真帖』
(1906年発行、1912年献納、コロタイプ印刷、
東京国立博物館蔵)
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以  上

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